2014年03月20日

前に進むために

3月は自由に使っていいと許可をもらえたので、
11日から16日まで岩手県に行ってきました。

№20中村彰吾(以下ドクター)選手が岩手県宮古市出身ということで、
半ば強引ではありましたが、
スケジュールを調整してもらい同行してもらいました。

3月11日を被災地で迎える事は、皆が皆出来ることではないと思ったし、
実際に行き、そこで感じる事を大切にすべきだと思ったのと、

『ドクターが何故医者を辞めてハンドボールを選んだのか?』
という疑問をひも解くために岩手県を訪ねることにしました。

盛岡に到着し、沿岸部の宮古市に向かった道中で14時46分を迎えたため、
追悼式に出ることができませんでした。。

岩手は僕が思っていた『県』のイメージよりも大きく、盛岡から宮古市まで2時間弱もかかった為、
途中の道の駅で小休止。

前に進むために


のはずが、思いっきり雪を楽しんでしまいました。


宮古市に着いて、そのまま沿岸部に連れて行ってもらいましたが、
割と早い段階で瓦礫が撤去されたようで、家屋の土台部分だけが残っている状態でした。

初めて来た僕には震災前の街並みをイメージすることができませんでした。

浄土ヶ浜の資料館の方にフリースを借り、日が沈む前に走って見学をし、
返すタイミングでお話を聞かせてもらうと、
『全く復興は進んでいない』とおっしゃっていました。

復興についての考え方もそれぞれだと思うので、その方の意見がすべてではないと思いますが、
期待するイメージには全く追いついていないのだろうと思いました。

そして、被災地として岩手、宮城、福島、茨城など、県単位でイメージしがちですが、
特に被害が大きかったのは、各県の沿岸部であることを再確認しました。

また、その沿岸部でも津波被害の有無で、全く違う生活がある事を知りました。


その日の夜は、
岩手県ハンドボール協会理事長 岡市 武先生にお会いし、
事務局から預かってきた、コラソンちんすこうの売上金の一部を義援金としてお渡しさせていただきました。

前に進むために


実家に一泊させていただき、
ドクターが風呂に入ってる時など、ドクターの居ぬ間に彼のルーツに迫りましたが、

どうやらご両親の影響を存分に浴びて、今に至っているのだと気づきました。


育てたように子は育つ

蛙の子は蛙

的な言葉が浮かびましたが、『医者辞めてコラソンに入った』ってだけでは、
父を越えることは到底出来ないなと、

そういう器のでかい父でありました。
(毛ガニ、中トロ、ホルモンに冷麺…またお願いします)


ドクターよ、もっと気前の良い男に育つのだ!!




翌日からは盛岡に住むドクター兄の家にお邪魔し、

盛岡第一、花巻南、盛岡南、不来方など、
見学したり、一緒に練習したり、指導させてもらったり…

ドクターがハンドボールにどっぷりハマり、練習がしたいが為に、
病院のスケジュールを調整して練習に参加していた学校を巡りました。


仕事を調整してまで高校生とハンドボールがしたいという大人を見つける方が難しいなと。
ハンドボール選手という立場になれていなかったら…

ゾッとします。


彼が『ハンドボール界の武井壮』と呼ばれる日もそう遠くないでしょう。。



ドクターについてイジッてみましたが、
今回の目的は全く違うところにあるので、武井壮の話は放っておきましょう。





今回、僕が岩手に向かったのは、日本リーグの同期選手を中心にスタートさせた活動である

『BORDERLESS』の最初の活動を、岩手県で実施できないかという思いからの行動でした。

実際に岩手県を巡り、関係者の方々にお会いすることで、プラスになることがあると思うし、

僕たちに何が出来るのかをより具体的にイメージすることが出来ると考えました。


盛岡や花巻という地域は全国的に盛んなイメージがあると思いますが、
小さな頃からハンドボールに触れる環境が整っているかいうと、そこまでには至っていないようです。

しかしながら、今回お会いした方々はもちろん、岩手にはハンドボールに対する情熱を持った人間が多いことを知りました。

これから数年後には岩手国体も控えているし、そこに向けた強化や普及についても考えているのだと思います。




これから選手同士で話し合いながら、
僕たちの自己満足にならないように、しっかりと進めていきたいと思います。


Facebookで見つけた言葉に勇気をもらいつつ、必ず実現したいと改めて感じることができた言葉がありました。

プロサッカー選手 小笠原満男選手の言葉です。


『サッカーに正解がないように、
支援活動に正解なんてない。

誰かの指示や答えを待っていても何も始まらない。

今、自分がこうしたいと思ったら、
それをとりあえずやってみる。

頑張ってやり続ければ、必ず道は開けるんでね』






自分に出来ることは小さなことかもしれないし、周りから見れば『?』かもしれないけど、
ハンドボール選手って名乗っている以上、何か1つくらいハンドボール界に残してみたいと思っています。

日本リーグのパンフレットには載らない事だけど、

とにかく一歩前に進んでみようと思います。





が、


皆さんのご協力がなければ何にも出来ない、

千代田の山猿です。


周りの方にお願いすることが多々あると思いますので、

是非とも力を貸してくださいm(__)m


『オラに力を』


ではclover



Posted by 松信 亮平  at 01:54 │Comments(0)

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